宝塚歌劇団のスターを生み出した新旧すみれ寮の今昔話

宝塚コラム

全国から受験生の集まる宝塚音楽学校。そしてその卒業生だけが入団できる宝塚歌劇団は、当然南は九州から北は北海道出身者までいる(いた)わけです。

となると、どこに住んで学生生活を送ったり、舞台生活を送るのかといえば、宝塚には昔から「すみれ寮」と呼ばれる寮があります。

最近、以前のすみれ寮が解体されている風景を見て少しノスタルジックに浸ってしまいました。

新・すみれ寮は場所を移して宝塚の街も刻々と変化しています。

今日はその「すみれ寮」について語ってみます。

 

すみれ寮とは・・・

宝塚音楽学校、宝塚歌劇団は遠い昔には「宝塚の卒業生を是非お嫁さんに」と言われ、花嫁学校的な存在でもありました。

しつけが厳しいことが、そう言われた所以でした。

全国から生徒が集まり、親御さんが安心して娘を預けられるように「すみれ寮」が存在したのは、いつの頃からかはわかりませんが、すでに1970年代には鉄筋コンクリート構造の旧・すみれ寮があったことはわかっています。

 

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(出典:http://blog.goo.ne.jp/)

 




 

写真の旧・すみれ寮は入り口は一つですが、中で第一すみれ寮、第二すみれ寮、第三すみれ寮の3つの建物の分かれています。

第二すみれ寮が音楽学校生用で予科3~4階、本科1~2階と分かれて第二すみれ寮。

音楽学校を卒業すると第一すみれ寮、第三すみれ寮に引っ越し、上級生と同室ということもあったそうです。

 

すみれ寮に入寮するのは・・・

近畿圏在住者でも1時間以上かけて通学するのは、一般の学校と違い朝が早く、終業時間が遅い音楽学校生には大変です。最近はほとんどの生徒さんが「すみれ寮」に入寮されているようです。

しかし・・・往年のスター、汀 夏子(みぎわ なつこ)さんは「朝一番にピアノの練習をするために始発で通った」などと後年エッセイ本で語っていましたが、大阪市内や宝塚近辺の西宮、芦屋、伊丹、尼崎市などから通学する生徒さんは多かったです。

遠方の生徒さんは希望すれば入寮でき、逆に音楽学校生の一人暮らしは許されていないのは今も昔も変わり無いようですね。

 

旧・すみれ寮での生活は・・・

 

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(出典:https://www.cataloghouse.co.jp)

イラストは1982年頃の寮の生活。

レッスンに明け暮れる学校生活に必要最小限が揃えられているイメージですね。

 




 

学校は2年制で、1年目は予科生、2年目は本科生といいます。学校内での生活指導は本科生に任せられていて、先生は口をはさみません。例えば、掃除。入学後、担当箇所が割り振られ、1年間同じ場所を掃除します。

掃除が終わると本科生が点検するのですが、もし汚れが見つかると、呼び出されて叱られるんです。一人の失敗は連帯責任となり、予科生全員で本科生に謝ることもあります。予科生時代というのは、上下関係や挨拶、気遣いの大切さなどを学ぶ修業の場。そのすべてが「宝塚歌劇」という舞台を成功させるために必要なことなんですね。

(出典:https://www.cataloghouse.co.jp)

 

花景 美紀(はなかげみき)の芸名で80期生だった野坂 麻央(のさか まお)さんは寮での生活を上述のように振り返っています。

音楽学校も厳しく、寮生活も厳しかったのですね。

 

↓↓壇ひとみのブログ より

主を失ったこの旧すみれ寮は…
ものすごーく寂しそうでした(´・ω・`)。
当時はまだ携帯電話が無くて…
消灯時間になると、一階ロビーにある公衆電話に毎日必ず誰かが実家と長話している感じでした(*^^*)。

勿論私も(*^^*)。

初めの頃は100円玉を沢山持って降りて…
そのうちコレクトコールなるものを覚え(笑)…暫くしたらテレホンカードという便利なもので、沢山集めてかけてましたっけ。。。(*^^*)。

静まり返った寮を外から眺めていたら…
そんな夜中の電話の声とか…
大浴場での響く声とか…

寮長さんの

「○○さん、お電話です。○○さん、お電話です。」

って言うチャイムとマイクの声とか…

二層式の洗濯機(笑)の、ガラガラガラ!!って言う脱水機の音とか(*^^*)…

何だか聞こえて来そうでした(*´ω`*)。

(出典:http://ameblo.jp/d-d-d-chibita/)

69期生の壇 ひとみ(だん ひとみ)さんも旧・すみれ寮の思い出を上記のように綴っていらっしゃいます。

音楽学校生なら16歳から20歳。

親元を離れての厳しい生活にホームシックになれば、電話で家族の声を聞きたいと思うのは当然。

でも携帯電話のない時代にはテレフォンカード、もっともっと昔は10円玉を握りしめて、すみれ寮の公衆電話に走った・・・という生徒さんのお話は、大昔の「歌劇」などで「音楽学校時代の思い出」として掲載されたのを読んだことがありますが、建物はなくなってもそんな思い出は生徒さんの心にずっと残っていくのでしょう。

 

↓↓2.もっと昔のすみれ寮/新すみれ寮/東京公演中/ 震災の日のすみれ寮

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