他にもあるある代役裏話
代役の裏話的なことは、後になってスターさんご自身が語られていることも多いです。
例えば安蘭けい(あらんけい)さんはプレお披露目公演だった、梅田芸術劇場公演ドラマシティ・日本青年館公演「ヘイズコード」で声がでなくなり、歌の場面では他の生徒さんが影ソロをされたそうです。
壮 一帆(そう かずほ)さんも退団公演『一夢庵風流記 前田慶次/My Dream TAKARAZUKA』で声が出なくなり、
月城かなと(つきしろかなと)さんが影ソロをされたこともあったようですね。
こういう一部を代役的なものは多々あるかもしれませんが・・・
2001年花組トップスターに就任した匠 ひびき(たくみ ひびき)さんは、宝塚大劇場と東京宝塚劇場でのトップお披露目であり、また退団公演ともなる公演を休演されています。
その公演は『琥珀色の雨にぬれて/Cocktail』。
大劇場千秋楽の直後に脊髄炎になり、その後に予定されていた梅田芸術劇場シアタードラマシティ公演『ダイヤモンド・アイズ』と東京宝塚劇場公演の前半を休演。
こればかりはご本人が一番悔しく思われたはずですのでコメントのしようもありません。
この時代役を務めたのは、後に花組トップスターとなった当時の二番手スター・春野寿美礼(はるのすみれ)さんでした。
1999年1月2日、月組東京公演・TAKARAZUKA1000days劇場『黒い瞳』で紫吹淳(しぶきじゅん)さんの代役を、後の宙組トップスター・大空祐飛(おおぞらゆうひ)さんが務めました。
この時のお話は大空さんご自身がトーク番組で語っていましたが
元旦にディズニーランドへ月組の下級生達と遊びに行って帰ったら「明日から代役やってください」と連絡があり、びっくりして「できません」と行ったら演出の先生が「いやいや、できるよ、大丈夫だよ」とおっしゃったとか。
2003年夏に、後に月組トップスターとなる霧矢 大夢(きりや ひろむ)さんも体調不良のため休演(膠原病と診断され約2ヶ月入院されたことは公表されています)『シニョール・ドン・フアン』を休演。
この時の代役は後の星組トップスター・北翔海莉(ほくしょうかいり)さんでした。
まとめ
誰だってどんなに予防していても病には勝てないことがあります。
身体のメンテナンスを十分にしていても避けられない怪我もあります。
急に「はい、代役お願いします!」と言われても時間との勝負があるライブな舞台。
その時の心境はファンには想像もつきません。
ある組で、後日トップスターになられた生徒さんの逸話ですが、
非常に大きな役の代役が当日に決まり、驚きのあまりに「できない、できない」と泣いてしまって、とうとう開演時間を遅らせるというハプニングがあったと耳にしたことがあります。
当日のお客さんには迷惑な話だったかもしれませんが、この時大きなプレッシャーを乗り越え、その生徒さんは後年トップスターになられたそうです。
メンタルにも鍛えられたのでしょうか。
そして代役での公演となった時、大変なのはご本人だけ?といえばそれも違います。
同期生はじめ周囲の人達は、早変わりやお化粧替えなどご本人が余裕のないぶん、気を配ってお手伝いしたり、大変な時だからこそチームプレイで乗り越えていくのも、一公演限りのカンパニーとは違う点ですね。
今日は「代役」にまつわるあれこれを綴りました。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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