ベルばら初演の頃のファンクラブ
この当時、管理人・すみれ子自身もある生徒さんに憧れて、ファンクラブに入りました。
とは言っても、入会の申し込み書もなく、入会金、年会費などもありません。単に同じ生徒さんを応援するファンが集まっている状態です。ただ、今は「代表さん」「スタッフさん」と呼ばれる方がいるように「幹部」さんと言われる人がファン達をまとめていました。
では、「幹部」さんは誰がやっていたの? と言えば、その生徒さんを古くから応援している人が生徒さんに依頼されてやる、その人が事情があってできなくなれば次に古いファンの人・・・などといった形で、全く生徒さんのファン以外がお手伝いすることはありませんでした。
そして・・・
当時もファンはやはり学生もしくはOLがほとんどなので、毎日通える訳ではありません。
「幹部」さんも今の「代表」さん的な人は1人か2人、それを手伝う「幹部」さんはその生徒さんのファンによって多数(5人のところもあれば、トップスターさんクラスは10人ぐらいいたかもしれません)いました。
この当時は今のように携帯電話もなければポケットベルすらありません。
例えば翌日のお稽古や公演の入り時間は、生徒さんに直接聞くしか手段がないので「明日は何時に入られますか?」と聞くために、最低一人はお稽古や公演中の出待ちまで残らざるえなかったし、何時出てこられるかは連絡手段がないので、ずっと※お稽古場や楽屋口で待つ以外方法はありませんでした。
そして「明日の入り時間」を聞いた人が翌日に来るであろうファンへ電話連絡をしていました。
これらは一応生徒さんから依頼を受けた「幹部」さんをリーダーとしていましたが、あくまでファンが自主的に集まり、自主的に応援してる状況でした。
※今の宝塚大劇場が完成する前は、劇場とお稽古場は別の建物で、公演中に何かのお仕事でお稽古場に向かわれる時は、楽屋口で待って、その後お稽古場へ見送ることもありました。
自主的グループから組織化したファンクラブFCへ
ご贔屓の生徒さんが退団されて以降、ブランクファンとなり、ごく稀に観劇してもファンクラブへの関心がなかったので、自主的であったファンの集まりがいつから今のように組織化したのかはわかりません。
立ったり座ったりというガードのスタイルの始まりも知りません。
少なくとも1990年頃には今のような立ったり座ったりするガードが存在していたようです。腕組みして通路を作るガードでは後ろのギャラリーの方に生徒さんの姿が見えないための配慮だったのでしょう。
また会服もいつ頃からあるのかもわかりません。
・・・が、お揃いの服やストールを身につけていれば「自分のファン」をすぐに見つけられる点で便利ですね。あの40年、50年前と比べると世の中自体が危険な出来事が多いです。不用意に見知らぬ人が生徒さんに近づくのを警戒せざるえませんから、その視点で考えると公演中の入り出に会服を着用することのメリットはあると考えます。
↓↓ 4. 今の生徒さんとファンの交流のあり方
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