月組・風間柚乃とは?・新人公演二番手は故夏目雅子の姪!100期注目男役

月組

 

↓↓100期生のインタビュー
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宝塚入団後の風間柚乃

舞台歴

出演作 新人公演
2014年3月-6月 『宝塚をどり』『明日への指針』
『TAKARAZUKA花詩集100!!』(※1)
2014年11月-2015年2月 『白夜の誓い』
『PHOENIX 宝塚!! ―蘇る愛―』(※2)
2015年2月17日  月組へ配属
2015年4月-7月 『1789-バスティーユの恋人たち-』
2015年8月-9月 『A-EN』ARTHUR VERSION(宝塚バウホール)
2015年11月-2016年2月、 『舞音』『GOLDEN JAZZ』 タン(蓮つかさ)(※3)
2016年6月-9月  『NOBUNAGA』『Forever LOVE!!』  弥助(貴澄隼人)(※3)
2016年10月  『FALLSTAFF』(宝塚バウホール)
2017年1月-3月  『グランドホテル』『カルーセル輪舞曲』  オットー(美弥るりか)

 

(※1) 初舞台は通常は宝塚大劇場のみ。100期生に限って東京宝塚劇場での公演にも参加。
(※2) 組周りで宙組公演に出演。
(※3) 新人公演では、蓮つかさ(97期生)、貴澄隼人(92期生)の役を演じる。

 




 

注目される風間柚乃

有名人の子女はどこの世界でも注目されるのは世の習いです。

風間柚乃さんの場合は、叔母である故・夏目雅子が昭和の女優としてあまりにも著名で、優れた演技力の人だったので、周囲から通常以上の注目を浴びざるえなかったでしょう。

夏目雅子とは?

ある程度の年齢以上の人なら必ず知っている女優。

若い世代の人でも「そんな有名な女優がいたのだね」ぐらいはご存知でしょう。

↓↓プロフィール

 

1957年12月17日生まれ

 

西山 雅子(にしやま まさこ)
旧姓は小達(おだて)。
風間柚乃の父が夏目雅子の弟。
1977年 カネボウ化粧品のキャンペーンガールとなり、「クッキーフェイス」のCMで注目
1978年 『西遊記』で三蔵法師役を演じる
1982年 映画『鬼龍院花子の生涯』
1984年 NHK大河ドラマ『徳川家康』に淀君役
1985年  舞台『愚かな女』の公演に体調不良を訴える
1985年9月11日  急性骨髄性白血で急逝

↑↑は大まかなプロフィールですが、1977年〜1985年の8年間にTV、映画、CMで活躍して広く名を馳せた女優でした。

 




 

また没後は風間柚乃の叔父にあたる、夏目雅子の3歳上の兄・小達一雄氏は、夏目雅子の意思を継ぐべく、医療用カツラの開発にも携わり、白血病に苦しむ人達のために『夏目雅子ひまわり基金』を運営。

小達家はもともと徳川将軍家の御典医の家柄で、明治時代には「赤門堂」という薬草問屋を立ち上げ、夏目雅子も裕福な、しかし厳しい家庭で育ったことは夏目が亡くなった後に、明かされています。

夏目雅子の両親は芸能界入りを大反対。

2007年に放映されたTVドラマ『ひまわり〜夏目雅子27年の生涯と母の愛〜』では、芸能界入りのエピソードと共に、たとえ芸能界に入っても女性として家では普通にやるべきことできる人間に、と望んだ母の思いも描かれていました。

夏目雅子役は仲間由紀恵さん。

 

↓↓夏目雅子さん
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(出典:http://topicks.jp/)

風間柚乃の目元は、夏目雅子さんに似てるような気がしますね。

 

父・小達敏昭

夏目雅子の弟であった、父・小達敏昭氏もまた家業を継ぐか、普通にサラリーマンになることを望まれていたそうですが、高校時代に闘病中の夏目雅子に勧められてプロ・ゴルファーの道を歩みました。

小達氏の良き理解者が夏目雅子だったのでしょう。

 

叔母・田中好子

1956年4月8日生まれ。

アイドルグループ『キャンディーズ』の一員として一世を風靡しましたが、「普通の女の仔に戻りたい」と一時芸能界を引退。

1980年に女優として芸能界へ復帰。

数々のTVドラマ、映画で活躍しましたが、同時に乳がんを患い、闘病しながらの女優人生でした。

2011年4月21日、他界。

想像ですが、おそらく風間柚乃さんは宝塚音楽学校受験について、叔母の田中好子さんに相談したりアドバイスをもらっていた・・・という可能性もありあそうですね。

↓↓ 3. 風間柚乃の新人公演抜擢 / 暁千星でない理由 / まとめ

 

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