夢咲ねね・赤根那奈から宝塚時代の芸名に変える理由は?そして年齢、実家は?

OG

元宝塚星組トップ娘役の夢咲ねね(ゆめさきねね)さんは、退団直後に芸名は本名である「赤根那奈(あかね なな)」にしていましたが、2016年12月2日に宝塚時代の「夢咲ねね」に戻し、2017年5月8日から行われる日生劇場公演『グレート・ギャツビー』から「夢咲ねね」で活動することを自身のinstagram発表しました。

 

皆様に、ご報告があります。 2017年5月8日から29日まで、 日生劇場にて、 2017年7月4日から16日まで、 梅田芸術劇場にて、 『グレート·ギャツビー』 に出演させていただくことになりました。 そして、名古屋、博多でも公演させていただきます。 私自身、この作品を初めて観た時から憧れていた作品でしたので、携われること、心から嬉しく思っております。 そして、この作品から、もう1度【夢咲ねね】に戻すことに決めました。 退団してから一年半、本名の自分、本来の自分がわからなくなり、自分を取り戻したいと思い、過ごして参りました。1年半経って、私の今まで歩んできたすべては、やっぱり【夢咲ねね】でつくられているんだ。 と、改めて【夢咲ねね】に向き合えることができ、舞台に、ミュージカルに心から向き合うことができました。 覚悟を決めた以上、今まで以上に己と戦い、真摯に取り組んで参りたいとおもいます。 皆様には、たくさんご迷惑をおかけしてしまい本当に申し訳ございません。 こんな私ですが、これからも温かく見守っていただけると幸せです。 これからも、どうぞ 宜しくお願いいたします。

赤根那奈さん(@akane_nana)が投稿した写真 –

 




 

夢咲ねねさんとしての、宝塚時代の活躍から現在を振り返りつつ、「赤根那奈」時代とこれからについて綴っていきます。

 

↓↓夢咲ねねさん
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(出典:ameba.jp)

 

赤根那奈が「夢咲ねね」に芸名を戻した理由

その理由は・・・

ご自身がインスタグラムに書かれた通りの理由であり、特別な事柄があったわけではなさそうです。

ただ・・・

ファンの立場では「赤根那奈」だとややこしく感じることがありました。

夢咲さんの愛称である「ねねちゃん」は宝塚時代の芸名に由来するもので、「赤根那奈」を名乗られたことで、なんだか「ねねちゃん」と呼びに食物がありました。

それが芸名を元に戻すことで解消されると歓迎されているようです。

 




 

夢咲ねねさんは宝塚退団時に・・・

あなたにとって相手役とは?」との問いに

私にとって相手役とは、柚希礼音さんしかないです。本当に、すべてでした」と涙を流して答えていたことから、退団後「赤根那奈」で活動再開した時には、ご本人の宝塚娘役のこだわりがあり、そのこだわりゆえに宝塚時代の芸名・夢咲ねねは退団を持って封印したかったのか?と想像することができました。

柚希礼音

今、芸名を戻すのは「夢咲ねね」として宝塚時代には元星組トップスター・柚希礼音(ゆずきれおん)さんを支えてきた功績が大きく、その看板を外してしまうより、むしろそれを背負った上で女優活動をすることに、夢咲ねねさんが意味を見出すことができた結果ではないだろうか、と管理人・すみれ子は考えています。

何はともあれ・・・

ご本人の決めた事!

ファンは名前が変わっても、ねねちゃん(夢咲)の活動を見守っていけば良いのですよね。

 

↓↓ 2. 夢咲ねねのプロイール

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