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随分以前に宝塚のファンだった頃、
とても美しいトップ娘役さんだ・・・と思ったのが
美雪花代(みゆきはなよ)さんでした。
(出典:https://twitter.com/)
若くして花組トップスター・松あきら(まつあきら)さんの相手役に抜擢され、
退団後はすぐに資生堂のCMガールに器用されて芸能界に見事に転身したのに、
すぐに姿を決してその後のことを全く知りませんでした。
今は・・・
北海道日高町で競走馬を育てる牧場のオーナーとなっていることを知り、本当にびっくりです。
宝塚の卒業生(OG)のその後は人それぞれ多様なことは以前にもご紹介しましたが、
今日は牧場主となった美雪花代さんについて調べてみました。
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美雪花代のプロフィール
美雪花代(みゆきはなよ) | |
宝塚音楽学校入学 | 1975年 |
宝塚歌劇入団 | 1977年 |
入団期 | 63期生 ※ |
入団時席次 | 不明 |
初舞台 | 月組公演『風と共に去りぬ』 |
退団公演 | 1981年5月『春の宝塚踊り/ファースト・ラブ』の宝塚大劇場公演 |
出身地 | 神戸山手学園 |
出身校 | 兵庫県 |
身長 | 160cm |
生年月日 | 1960年2月3日 |
芸名の由来 | 先輩の寿美花代(すみはなよ)が名づけ親 |
愛称 | みゆき |
本名 | 小川美由紀 |
※63期生には・・・
- 元星組男役スターのあづみれいか
- 元月組娘役、葦笛るか、
- 元花組男役、梓のぼる(俳優、金田賢一夫人)
- 愛羽ふぶきの母の真笛ひびき
- 大樹りょうの母の真樹りさ
などがいます。
↓↓美雪花代の宝塚音楽学校時代
(出典:https://twitter.com/)
音楽学校時代の美雪花代さん、一番前にいるのがわかります。
この当時も同期生の中で光っていますね。
美雪花代の宝塚時代
1977年 | 月組『風と共に去りぬ』*初舞台 |
花組へ配属 | |
1978年 | 『遥かなるドナウ』/『エコーズ〈絵光図〉』 |
1979年 | 『花影記』/『紅はこべ』 |
トップ娘役に就任 | |
1979年 | 『舞え舞え蝸牛』落窪姫/『ビューティフル・シティ』 *お披露目公演 (※1) |
1980年 | 宝塚バウホール公演 『刀を抜いて』 |
1980年 | 『花小袖』/『プレンティフル・ジョイ』 |
1980年 | 『友よこの胸に熱き涙を』- ヴィクトリア/『ザ・スピリット』 |
1981年 | 『宝塚春の踊り-花の子供風土記-』/『ファースト・ラブ』*退団公演 |
美雪花代さんは「新人公演のヒロインや宝塚バウホール公演のヒロイン経験がないままにトップ娘役に就任した」とされてますが、
当時のトップ娘役は、現在ほど固定されるシステムが確立されておらず、また宝塚バウホールは1978竣工、こちらも現在のような若手起用システムが確立されていませんでした。
それゆえ美雪花代さんがヒロイン経験がないことは、当時としては特別なことではありませんでした。
↓↓『舞え舞え蝸牛』お披露目公演の美雪花代さん
↓↓作品不明、松あきらさんと美雪花代さん
(出典:https://twitter.com/)
松あきらさんは、『紅はこべ』で北原千琴(きたはらちこと)さんが退団後、美雪花代さんとコンビを組みました。
なかなか素敵なコンビでした。
↓↓2. 美雪花代の宝塚退団後/ 芸能界から消えた訳/ 今、美雪花代が再び注目されている!
まとめ
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