越路吹雪のプロフィール
越路吹雪(こしじふぶき) | |
宝塚音楽学校入学 | 1935年 |
宝塚歌劇入団 | 1937年 |
入団期 | 27期生 |
入団時席次 | 73番/93人中 |
初舞台 | 月組公演「宝塚花物語」 |
出身地 | 東京府東京市麹町区(現:東京都千代田区麹町) |
出身校 | 長野県飯山高等女学校(長野県飯山高等学校)中退 |
身長 | ※ |
誕生日 | 1924年2月18日 |
芸名の由来 | 新潟県の越路町に下宿していたことからきています。 名付け親は父親です。 |
血液型 | |
愛称 | こーちゃん コッシー |
家族 | 父・母・ 5人兄弟の3人目 父親は日本初電気会社の「東京電燈」のエンジニア |
本名 | 内藤 美保子(旧姓:河野) |
※ 身長は不明ですが昔の宝塚身長基準は今と違い少し低めでした。
しかし165㎝以上がはあったのではないか?と表すお写真がこちら
越路吹雪さんと作詞家・岩谷時子さん。岩谷さんは越路さんのマネージャーを務める傍ら、シャンソンやミュージカルナンバーの訳詞、数々のヒット曲の作詞を手がけました。 pic.twitter.com/DOCqzq8tNL
— 島倉千代菊 (@wataridori333) 2017年10月16日
これは宝塚を卒業された後に撮ったマネージャー・岩谷時子さんとのお写真です。
女性の身長150~160㎝の平均だとすれば肩の位置、真後ろの男性との差を見ると165㎝以上はあったのではないでしょうか。
宝塚に入ったきっかけとなったのは歌が大好きな娘を見た父親が「思う存分歌える場所」として宝塚歌劇団の入団を勧めて決心をしたそうです。
長野県の女学校へ通っていた越路さんはクラスでも成績は落ちこぼれだったそうです。
でも、13倍率ともいわれる競争率の中、奇跡的に宝塚合格。
13歳で宝塚歌劇団へ入団されました。
その頃の日本は日中戦争真っ只中、人々を不安にさせるニュースがラジオから聞こえてくる時代でもあり、そんな大変な時代と共に宝塚舞台人生の幕開けとなられました。
宝塚在団のまま「モルガンお雪」に出演した越路吹雪。轟夕起子の代役であったが見事につとめあげた。モルガンは古川ロッパ。森繁久彌の姿も。
梅田コマが不入り続きだった昭和32年、越路は5年ぶりに「モルガンお雪」を再演。梅コマを連日満員札止めにした。 pic.twitter.com/wM71RLZIc5— 高橋まさひと (@masatango1962) 2017年11月21日
まだ梅田芸術劇場が「梅田コマ劇場」だった時代の舞台で代役をされた越路さん。
美しさが際立ってらっしゃいますね!
その5年後に、帝国劇場ミュージカルの第一回目として、お雪を越路さんは演じられ、連日満席が続いたそうです。
1947年、宝塚大劇場までわざわざ越路吹雪をみにでかけた藤田嗣治。
6年後、二人はパリで再会します。#越路吹雪 pic.twitter.com/jC04cV6sGH— 高橋まさひと (@masatango1962) 2017年10月20日
宝塚の男役の憧れと言えば黒燕尾に続き軍服ではないでしょうか。
この時代の軍服姿は今の軍服姿のお衣装とは又違った重みを感じます。
凛々しく勇ましい姿に惚れ惚れしてしまいますね!
日劇楽屋 皆さんこれが越路吹雪であります。 pic.twitter.com/UAAgwPS1eL
— のり一 (@noribiyori) 2018年1月18日
舞台に立つ姿に凛々しさと男らしさを放つ才能を持ちながら、実は女性的な姿も沢山披露して下さる越路さん。
お写真に可愛くポーズしている様子からとても愛嬌があった方だと言うのを感じます。
控えめで、人前で歌うことが苦手な岩谷さんにとって、舞台でスポットライトを浴びる越路さんは、自分の夢や憧れを叶えてくれる存在だった……
越路吹雪に“生涯無報酬”で尽くした女性が守った「大切なもの」 – @jisinjphttps://t.co/tr1boK5kF0
#越路吹雪 #越路吹雪物語 #tvasahi #女性自身 pic.twitter.com/IzuqScJRdZ
— 女性自身【公式】 (@jisinjp) 2018年3月5日
今は本当に貴重な1枚ですね!
この時の越路さんもまた面白いお話などされていたのでしょうね!
↓↓ 3. 越路吹雪の宝塚時代の舞台略歴
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