越路吹雪さんについてのまとめ
越路さんは1980年11月7日東京・中目黒にある東京共済病院にて56歳という若さで越路吹雪(こしじふぶき)と言う人生の幕を閉じられました。
病名は末期の『胃癌』
主治医の先生とご主人は最後まで越路さんに病名を知らさなかったそうです。
ずっと越路さんと連れ添い、人生を共にしてきた作曲家でもあるご主人、内藤法美(ないとうつねみ)さんが最後の最後まで越路さんに寄り添って看病されていたそうです。
昔から『カン』がよかった越路さんはきっとご自分の病気の事などきっと知っていたのでは?
そう言われており、手術が終わった後に面白おかしくジョーダンを周りに言ってみたり、周りの人達に気を使っていらっしゃった様ですね。
ご自宅に越路さんが帰って来たニュースでは報道陣もあふれ、また沢山のファンたちが「こーちゃん!!」と泣き叫ぶニュースが放送されました。
本当に偉大な人、偉大なスターだったのです。
越路さんは意識が朦朧とする病室で最後にした言葉は・・・
「法美さんにコーヒーを」
最後の最後までご主人を気遣い愛していらっしゃった事が、夫・法美さんのコメントにてわかりました。
↓↓「サン・トワ・マミー」を歌う越路吹雪
越路さんはきっともっと歌いたかったでしょう。
もっと舞台に立ちたかった事と思います。
今でも越路吹雪さんの持ち歌の多くを、たくさんの歌手の方が歌っていらっしゃいます。
また宝塚歌劇団でも歌われていまね。
そしてこうしてドラマ化されていること・・・
天国の越路吹雪さんにもお知らせしたい。
・・・というか、きっと暖かく見守ってくださっていることでしょう。
56歳と言う若さでこの世を去った越路吹雪さん。
今頃は、天国で煙草をふかしながら、第2の越路吹雪物語をスタートされているのではないかな~!と思います。
元OGタカラジェンヌの一人というより、その歌声で日本中を魅了し、日本にシャンソンを根付かせた牽引者とも言える越路吹雪さん。
宝塚というところは、こういう素晴らしい先輩を輩出している劇団だと今更ながらに思いました。
越路吹雪さんに尊敬の意を持って記事を終わりにしたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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