宝塚星組の歴史と歴代トップスターから組の特色を探る

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星組トップスター・北翔海莉(ほくしょうかいり)さんとトップ娘役・妃海風(ひなみふう)さんの東京でのサヨナラ公演の幕が上がりましたね。

北翔号の最後のエネルギッシュな航海を祈りながら、星組の歴史と歴代トップを振り返り、星組のカラー、特色を考えてみます。

花組・月組・雪組についても併せてご覧ください。

星組の歴史

昔から花組は「ダンスの花組」、月組は「芝居の月組」、雪組は「日本物の雪組」と言われていましたが、星組は何と言われていたか思い出そうとしましたが、わかりません。

それでも熱いエネルギーのある組であることは、ずっと変わりないように思います。

この星組は花組、月組、雪組に次いで3番目に誕生しました。

最初の創設は1933年ですが、第二次世界大戦中の時局悪化のため一旦廃止、戦後1948年に再開されました。

宝塚初の一本立て公演『虞美人』の初演は星組です。

初代トップは春日野 八千代(かすがのやちよ)さん、(後に花組に異動して花組トップ → 専科)、現在のトップ・北翔 海莉(ほくしょうかいり)さんで19代目、栄えある20代目が紅 ゆずる(くれないゆずる)さんになります。

春日野八千代さんについては最終的にトップを務められたのが雪組ですので、 宝塚日本物の雪組紹介、歴代トップスター達から次期トップ予想まで に記載。

星組の歴史の中のトップ男役 〜1980年代前半のトップ

寿美花代・那智わたる・上月晃

寿美 花代(すみ はなよ)さんは今でもTVに出演され、よく知る人も多いですね。宝塚時代は1960年の『華麗なる千拍子』パイナップルの女王役で網タイツの脚線美を披露し、話題をさらったそうです。

星組から専科に異動後、退団。

後に俳優・高島忠夫と結婚、同じく俳優の高嶋政宏、高嶋政伸の母。

那智 わたる(なちわたる)さん

月組 →星組 →月組 → 星組と組み替え後、単独トップに。2回目の月組時代には藤里 美保(ふじさと みほ)さん、内重 のぼる(うちのえ のぼる)さんと共に「マル・サチ・オソノ時代」と称される一時代を作りました。

また那智 わたるさんといえば、長きにわたりブロマイド売り上げNO1の超人気スターでおありました。星組から演劇専科に異動後退団。

上月 晃(こうづき のぼる)さん

ゴンちゃんの愛称で往年のファンなら誰もが知る人。また退団後は日本のミュージカル界を支え『マイ・フェア・レディ』、『風と共に去りぬ』、『屋根の上のヴァイオリン弾き』、『ラ・マンチャの男』など数多くの舞台で活躍。




鳳 蘭

鳳 蘭(おおとり らん)さんも誰もが知る女優さんと言っていいでしょう。

上月 晃さんの退団を受けて、1970年から鳳蘭と安奈淳のダブルトップ時代がありました。その後、安奈淳が花組に組み替えして1974年から星組単独トップスターに。

1962年に宝塚音楽学校に入学。1964年、宝塚歌劇団入団。50期生。

1976年の『ベルサイユのばら III』にはフェルゼン役で出演。1977年『風と共に去りぬ』、1978年『誰がために鐘は鳴る』など今も再演される名作に出演。専科に異動後、1979年、星組公演『白夜わが愛』で退団。

ツレちゃん(鳳)はショースターとして大変優れた人でした。まさに舞台人になるべくして生まれて来た華と資質で活躍したシーンは今もなお記憶に残っています。

それは宝塚退団後のミュージカル女優としての活躍を見ていてもわかる通りです。日本の興行の世界でようやくミュージカルが根付き始めようとしている時に、大活躍。

『ファニー・ガール』『スウィーニィ・トッド』『シカゴ』『レ・ミゼラブル『王様と私』『ラ・マンチャの男』など数えきれないミュージカル作品に出演。

鳳蘭さんは幼い頃からハーフに間違われていたそうですが、両親ともに中国籍で神戸で育ちました。現在は日本国籍を取得。

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↓↓『誰がために鐘は鳴る』フィナーレ

↓↓ ’84 宝塚歌劇団TMP音楽祭 セ・マニフィーク

この独特の歌い方・・・ツレちゃんだなぁ、と思います。

↓↓2.星組の歴史の中のトップ男役 1980年代後半〜1990年代半ば

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