ベルばらが変えたファン達の行動
ベルばら以前のファン達
1950年代(昭和30年代)半頃に青春を過ごした、今80代の知人は「生徒さんと顔見知りになると梅田で待ち合わせてご飯を食べることもあった」と普通に語ってくれて、私は仰天したことがあります。
さらにこんな発言もあります。
「昔はこんな組織的じゃなくて生徒との距離が近かった。バスを借り切って遠足に行ったり、ご飯をつくって一緒に食べたり、お友だち感覚だった」とファン歴82年という宝塚市の科埜(しなの)智子さん(82)。実際、大正時代にファンは“お友だち”と呼ばれたそうな。
(出典:http://www.asahi.com/)
のどかな時代だったのですね。
それでも楽屋口で入り待ちや出待ちをするファンは特別申し合わせをすることなくとも、普通に並んで大人しく生徒さんを待っていたそうです。
宝塚の生徒さんを応援するファンは、小さい頃から家族で観劇したり、母娘でファンで会ったりする中で、自然とファンがどういう行動をとるべきかを学んでいたのかもしれない、と想像しています。
ベルばら初演から以降
それが激変したのが初演の『ベルばら』の頃からでしょう。
月組初演『ベルばら』でオスカルを、花組移動後『ベルサイユのばら part2』でアンドレを演じた榛名由梨さんは後日・・
楽屋に入ってから確認するとジャケットにマジックのインクがたくさんついていたり、
(出典:http://www.umegei.com/)
と語っていらっしゃるように、オスカル様に※サインしていただこうと楽屋口に宝塚に馴染みのないファンが殺到して、生徒さん達はもみくちゃにされたり、手にしたマジックが生徒さんの洋服を汚す様な事が度々起きる様になりました。
この頃にすでに今の様なファンクラブ的な物が存在はしていました。
そこでご贔屓の生徒さんを守るために、公演によってはファン全員で腕組みをして生徒さんが楽屋入出しやすい様に通路を作っていました。
おそらくはこれが「ガード」と言われる物の始まりだと思います。
※ ベルばら』初演当時は劇団近辺で生徒さんにサインをしていただくこともOKでした。その後、車の往来もあり危険とのことで宝塚警察から禁止の依頼があり、路上付近で生徒さんにサインを求めることは禁止されました。
↓↓当時、ちゃんと並んで管理人・すみれ子が榛名由梨さんから頂いたサイン
まだ路上でのサインが禁止になる前、榛名由梨さんにサインをしていただきました。人があまりいなくて、時間に余裕があれば気軽にスターさんもサインに応じてくださいました。こういう時も自主的ファンクラブの方が傍にいても注意などはありませんでした。
もちろん、これはある生徒さんのファンクラブに入る前のことです。
↓↓ 3. ベルばら初演の頃のファンクラブ
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