夢咲ねね・赤根那奈から宝塚時代の芸名に変える理由は?そして年齢、実家は?

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夢咲ねねの宝塚歌劇団在団中の活躍

 

↓↓宝塚時代の夢咲ねねさん
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(出典:http://www.crank-in.net/

 

2003年 月組公演『花の宝塚風土記/シニョール・ドン・ファン』で初舞台
2003年5月22日 月組へ配属。
2005年2月 – 5月 『エリザベート』新人公演:エリザベート *新人公演初ヒロイン
2007年1月 – 2月 『パリの空よりも高く/ファンシー・ダンス』*新人公演ヒロイン
2007年 2006年度 愛宝賞 すみれ賞、宝塚歌劇団年度賞 新人賞受賞
2007年5月 – 6月 『大坂侍』(バウホール・日本青年館公演)*ヒロイン
2007年9月 – 12月 『MAHOROBA/マジシャンの憂鬱』*新人公演ヒロイン
2008年1月30日 月組から星組へ組み替え
2008年 2007年度 阪急すみれ会・パンジー賞 新人賞
2009年4月 柚希礼音の相手役として星組トップ娘役に。
お披露目公演は『大王四神記ver.Ⅱ』
2010年 2010年 – 2009年度宝塚歌劇団年度賞 努力賞 受賞
2013年 2012年度宝塚歌劇団年度賞 優秀賞 受賞
2013年  宝塚歌劇団の台湾公演に参加
2013年10月  バウホール公演『第二章』で専科・轟悠と共演
2014年  日本武道館にて『REON in BUDOKAN〜LEGEND〜』
2015年5月10日  『黒豹の如く/Dear DIAMOND!!』の東京宝塚劇場公演千秋楽をもって宝塚歌劇団を柚希礼音と共に退団。

 

2003年、初舞台後に月組へ配属された後は、新人公演でヒロインを演じるなど確実に娘役として成長していきました。

2008年1月30日付で星組へ組み替え。ミュージカル『THE SCARLET PIMPERNEL(スカーレット ピンパーネル)』の日本初演に出演。

当時のトップスター・安蘭 けい(あらんけい)さんとトップ娘役・遠野 あすか(とおのあすか)さんコンビの後を受け継ぎ、柚希礼音の相手役としてトップ娘役に就任します。

それ以降、退団までは星組トップ娘役として6年間、数々の名作に出演しました。

 




 

柚希礼音と夢咲ねねのトップコンビ

柚希礼音さんとのトップコンビは、二人の愛称である「ちえ」(柚希)と「ねね」(夢咲)から、ファンに「ちえねね」と呼ばれ、トップコンビとして共に退団するまでファンから愛されていました。

夢咲ねねさんのように、相手役である男役さんと一緒に退団することを、近年ファンは「添い遂げ」と呼び、同時にトップに就任、同時退団は珍しくないことです。

 

↓↓退団の日の東京宝塚劇場への入り
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退団ほ日の入り、定番で白いワンピースを着用されていますね。
ファンもやっぱり「白」です。

 

宝塚さよなら公演千秋楽で退団者とファンが白い服を着るのはいつから?

 




 

↓↓退団の日、東京宝塚劇場を後にする夢咲ねねさん
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2017年に退団することを発表した、雪組の早霧せいなさん&咲妃みゆさんも同時就任の同時退団ですね。

ただし「ちえねね」のお二人は6年の長きに渡ってコンビを組んでいた点では、宝塚史上でも珍しいかもしれません。(男役トップスター6年はあっても、途中で娘役が交代するケースが多いです)

 

↓↓100週年幕開けの『眠らない男』ではナポレオンの妻・ジョセフィーヌ
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(出典:チケットぴあ

 

↓↓ 4. 夢咲ねねの退団後 / 憧れの女子? / 宝塚初? / 実家は?

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