はいだしょうこの宝塚受験のきっかけ
はいだしょうこさんの家庭は家族揃っての宝塚ファンだったそうです。
観劇は家族一緒。
出待ちまでしていた宝塚ファン。しかも家族揃っての出待ちだったそうです。本当に宝塚ファン一家だったのですね。
父である拝田正機氏が一番宝塚に詳しく「今、出てこられたのは○○さん」と教えてくれる程だったそうです。
はいだしょうこさん自身は、月組のトップスターだった大地 真央(だいち まお)さんに憧れ、将来は「宝塚に入る」か歌うことが好きなので「歌のおねえさんになる」、「幼稚園の先生もいいな」・・・と夢見ていました。
そしてまず一つの夢を実現するために、宝塚音楽学校を受験。
高校2年の時に2度目の受験で合格しました。
はいだしょうこの宝塚時代のエピソード
↓↓はいだしょうこの宝塚音楽学校時代
(出典:pbs.twimg.com)
↓↓ はいだしょうこの予科生時代のエピソード
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(出典:ニュースウォーカー)
↓↓はいだしょうこの予科生時代の当時トップスターの真矢みきとのエピソード
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↓↓はいだしょうこの初舞台当時
(出典:twitter.com)
2001年『ベルサイユのばら』エトワール
↓↓エトワールの千琴 ひめか こと はいだしょうこ
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当時はエトワールを務めるのは通常研6以上とされていて、研3のはいだしょうこ(千琴 ひめか)が抜擢されたのは大変異例のことでした。
研3といえば、まだ当然のようにラインダンスに出演している学年です。
そのためにラインダンス出演 → 次の場面の早変わり → 次に出演 →早替わり →エトワールで歌う。
舞台と早替わりの連続で、エトワールとして歌う時にはカツラがきちんとかぶれていなかったりすることもあったそうですが、そんな舞台裏を感じることない堂々とした歌いっぷりですね。
エトワール以外に、その他の出演作でもカゲソロという、舞台には立ってはいないが舞台裏でソロで歌う役で非常に活躍しています。
えまおゆうが語った、はいだしょうこの宝塚時代のエピソード
元・雪組トップスターのえまお ゆうさんが、2011年に明石家さんまのTV番組で「はいだしょうこの宝塚時代」について語ったことがあります。
はいだしょうこさんは実家は東京ですから、当然宝塚音楽学校に入学と同時おそらくは宝塚すみれ寮に入寮したことでしょう。
すみれ寮時代は厳しい規則があっても、食事や日常のことは準備くれる寮母さんがいますが、ある程度上級生になると寮を出なければいけません。
そして、はいだしょうこさんは・・・・
- お風呂の湯の張り方が分からずお風呂に入れなくて困った。
- お風呂の追い炊きの仕方がわからなかった。
- 全国ツアー公演の荷造りが出来ず、その度に東京から母に来てもらっていた。
という状況だったそうです。
歌は子供時代からとても上手だったのに、箱入り娘? 本当におっとりと成長されたようですね。
それを聞いて見かねた、えまおゆうさん(当時は星組ですでにスターでした)が、お風呂のお湯のはり方、追い炊きの仕方をその都度教え、荷造りも見かねて手伝っていたそうです。
えまおゆうさんは1987年入団の73期生。
上下関係に厳しい宝塚ですが、こういう優しい上級生に出会えて、はいだしょうこさんは幸せでしたね。
闇練(やみれん)の女王
日常生活でかなり「天然」だった、はいだしょうこさんですが、「芸」においてはとことん追求する「闇練の女王」として有名だったそうです。
「闇練」とは暗闇の中で一人練習し続けること。
はいださん自身は「器用なタイプではないので、できるまで時間をかけて練習をしていかないとできないから、暗闇の中でも頑張ってやっていました」(2016年NHKスタジオパーク談)と言っていますが、そうした練習を重ねた結果が『ベルサイユのばら2001』でのエトワールにつながったのでしょう。
↓↓3.「おかあさんといっしょ」時代 / 最近の活動
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