宝塚音楽学校・不文律を廃止「阪急電車へ一礼」やめます!

宝塚コラム

宝塚音楽学校は入学試験の競争倍率が高いことでも有名ですが、夢がかなって合格後の厳しさも有名な学校です。

その宝塚音楽学校が「阪急電車へ一礼する」などをはじめとした不文律をなくすことになりました。

 

 

上記をはじめ多くのメディアが音楽学校の不文律廃止を報じています。

 

この記事では「宝塚音楽学校の不文律とはなにか」をはじめ、「時代錯誤」と指摘されるような不文律、それらがあった理由について考えていきます。

 

スポンサーリンク

 

宝塚音楽学校の不文律とはなにか

音楽学校の「不文律」は文字通り、「不文律」であり「校則」ではありません。

しかしながら長い宝塚音楽学校の歴史の中で先輩から後輩へと受け継がれてきた伝統でもあります。

とはいえ、時代とともに現在の社会状況にそぐわない面もあるので、その不文律の一部が廃止されたり、変更されるようになりました。

宝塚音楽学校で廃止される不文律は?

今回、メディアの取材に対して宝塚音楽学校が回答した廃止や変更される不文律は・・・

  • 予科生(1年目)は遠方にいる本科生(2年目)に対して大声で挨拶していたが、これを「黙礼」に変える
  • 阪急電車への一礼を廃止
  • 本科生の前では眉間にシワを寄せて口角をあげる「予科顔」といわれる表情を作っていたが、これを廃止。
  • 本科生に対しては基本的に「はい」「いいえ」という言葉しか使えなかったがこれを廃止。
  • ルール違反をした予科生は本科生に謝る際に、他の予科生も自分の違反を自主申告して謝る「連続誤り」をしていたがこれを廃止。
  • 各予科生に構内の掃除場所が割り当てられ、前年担当していた本科生が一対一で教育していたが、グールプで掃除を担当に変更。
  • 本科生へのノート提出の廃止。

以上です。(あくまでマスコミが発表している内容)

 

スポンサーリンク

 

宝塚音楽学校の不文律はいつからある、その意味って

なぜこんな不文律が宝塚音楽学校に存在したか?

すみれ子が宝塚ファンになった50年近く前にも、現役のジェンヌさんが「音楽学校時代の思い出」として宝塚関係の雑誌やメディアで公にしていた「不文律」もあり、本当に長きにわたって受け継がれてきたことがわかります。

しかし今となっては「不文律」だけが独り歩きをして、どうしてそんな不文律ができたのか正しい「理由」のほうはわからなくなっているケースもありますね。

阪急電車への一礼

宝塚大橋から武庫川を通過する阪急電車にむかっておじぎをする音楽学校生を見かけたことは、今までになんどもあります。

「阪急電車に一礼」するのは、何人もの宝塚OGさんがTV番組の中で「電車に上級生(音楽学校だけではなく劇団員も含む)が乗っているかもしれないから」と話していました。

もちろん50年前にも同じように発言している現役ジェンヌさんがいらっしゃったので、それが本当の理由なのかもしれません。

少なくとも50年前に存在した不文律。

確かに今という時代にはそぐわない点はありますが、すみれ子の憶測ながら「阪急電車にはお客様が乗っているから」という感謝の想いも、当初はあったのではないかと思うのです。

なにはともあれ「上級生が乗っているかもしれないから」は今の時代にはあわないかもしれません。

 

スポンサーリンク

 

遠方の本科生に大声で挨拶

また「予科生の本科生に対する挨拶」については、私自身、客観的に見ていて挙動不審でおかしいな・・・と感じていたので黙礼に変更されてよかったと思っています。

宝塚、宝塚南口には住んでいる友人もいるので、観劇に関係なく行くことはありますが、細い歩道を二列に整列して歩く姿も異様でした。

昔は二列で軍隊みたいに歩く姿は見かけなかったし、挨拶する姿もごく一般的な距離で「おはようごございます」と挨拶していたのに・・・。

この何年かは細い歩道にもかかわらず二列で反対から歩いてくる予科生たちとすれ違う時、絶対に道をゆずらない彼女たちに「一般人の姿が見えない変な子の集団」と思いました。

信号待ちで立ち止まっている時にはキョロキョロしている姿も、不審すぎだったし。

多分「周囲に本科生がいたら挨拶をしなくてはいけない」ということしか頭になかったのでしょう。

「指示されたあるき方」「挨拶」そういうものが、予科生たちをがんじがらめにしているのかなぁ、と第三者ながら思ったものです。

音楽学校校内の掃除はグループでの指導に変更

「お掃除」は昔から一対一で本科生が指導していたことも有名です。

これには意味があって、音楽学校を卒業して晴れて宝塚歌劇団へ入団してからも舞台人として上級生から教わることが多いし、一対一の指導によって上級生が教えようとしていることを汲み取っていく力を身につける(特に新人公演などでは)ことに役立ったはずです。

これをグループでの指導に変更するのは、悪意的な上級生とは蜜にならないようにという配慮なのだろうか・・・?

ちょっとわかりませんが、グループでの指導に変更したとしても、舞台人として将来必要になってくるコミュニケーション力をつけることは可能ですね。

 

スポンサーリンク

 

OGさんでも「ノートなんて書いたことない」とおっしゃっている方もいるので、「ノート」というのは割と最近になってできた仕組みかもしれません。


まぁ、世の中は確実に変わっていっています。

社会では、ちょっとした一言も「パワハラ」にならないように気配りが必要な時代。

宝塚音楽学校の不文律も世の中や時代とともにかわっていくことが必要なのでしょう。

 

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました