宝塚歌劇団の理事でもあり、「トップオブトップ」と呼ばれ、宝塚を象徴する男役スターである轟悠(とどろきゆう)さん。
「ミスター(?)宝塚」と言っていいほど、宝塚歌劇団を代表する男役である轟悠さん。
「すみれ子の宝塚百科事典」では意外にも轟悠さんのプロフィール記事をこれまで書いていなかったので、ここで遅ればせながらじっくりと詳細をお伝えしたいと思います!
轟悠さんのプロフィール
轟悠(とどろきゆう) | |
宝塚音楽学校入学 | 1983年4月 |
宝塚歌劇入団 | 1985年3月 |
入団期 | 71期生 |
入団時席次 | 12番/46人中 |
初舞台 | 花組公演『愛あれば命は永遠に』 |
出身地 | 熊本県人吉市 |
出身校 | 人吉市立第一中学校 |
身長 | 168㎝ |
誕生日 | 1967年8月11日 |
芸名の由来 | 栴檀轟の滝(せんだんとどろのたき)から |
血液型 | A型 |
愛称 | イシサン、トム、トムサン |
家族 | 父、母、兄、弟2人 |
本名 | 石蔵智子 |
「どんな幼少期でしたか?」
轟悠「私、小学校一年生の頃から顔変わってないんですよ〜」
※写真は幼稚園時代 pic.twitter.com/NCVZwUvgvS— パグ助 (@hrRLilYvs28Xn33) 2018年3月6日
さすがに33年も在団していらっしゃるといろいろなエピソードが伝わってきます。
ここには書ききれないほどあるんですが、ご実家は地方新聞社を経営していらっしゃることはかなり有名。
つまり、社長令嬢ってことですよね。令嬢ってなんだか全然しっくりきませんが(;^ω^)
タカラジェンヌさんには社長令嬢は珍しくありませんが、轟悠さんも例に漏れず、なのですね。
幼少期からたくさんの習い事をしていたということなので、その辺もやはり育ちの良さを裏付けるエピソードです。
ご親戚を通じて、大地真央さん、黒木瞳さんと会える機会が設けられ、その際に宝塚受験を勧められます。
見事に一発合格しますが、そのときはあまり乗り気ではなかったそうな。
しかし、不合格になり泣いているたくさんの受験者を見て音楽学校への進学を決意します。
音楽学校時代のお掃除分担は玄関。
蔦の絡まる古い校舎だったのでよく毛虫が落ちてきたというエピソードが。
はじめは入学を渋っていた轟悠さんが、今ではこうして誰よりも長く主演者として舞台に立ち続けるだなんて、当時の轟悠さんもまさか予想だにしなかったでしょうね。
ちなみに芸名の由来の「栴檀轟の滝」というのは・・・
轟悠さんの出身地、熊本県にある有名な滝のことです。
日本の滝百選にも選ばれています。
↓↓2.超豪華な同期生たち!爆笑MCお見せします!
コメント
3年くらい前でしょうか、中日劇場で『風と共に去りぬ』の時、初めて入り待ちを経験。
その時にお話しした名古屋マダムが轟ファン。
「若い時のバトラーも良かったけど、歳を取ってから更に良くなった」と言ってました。
リンカーンの時は、あんなに髭の似合う人はいないと思いました。