雪組大劇場公演『壬生義士伝(みぶぎしでん)』を観劇しました。
原作は浅田次郎氏による歴史小説。
前回、宝塚で上演された浅田次郎氏の作品『王妃の館』がコメディー作品だったのとは真逆に人間の息吹を感じる小説です。
2002年にTVドラマ化され、主人公・吉村貫一郎を渡辺謙が演じ、2004年の映画化では中井貴一。
どちらも日本を代表する演技はの俳優さんですね。
そんな情報だけを得て観劇しましたが、長編小説を1時間半あまりの枠の中でわかりやすく立体化した作品でした。
主演の雪組トップスター・望海風斗(のぞみふうと)さんも、貧しい生活から妻と子供を守るために新選組に入隊。
新選組では「守銭奴」「出稼ぎ浪人」などと言われながらも、常に妻と子供を思い「義」を貫いて生きている人間の姿を心に響く演技でみせてくれました。
もちろん相手役の真彩希帆(まあやきほ)さんも。
吉村貫一郎の幼馴染・大野次郎右衛門の彩風 咲奈(あやかぜ さきな)も辛い立場の役どころ。
良い芝居でした。
この記事では雪組公演『壬生義士伝』観劇感想を作品としての魅力をメインにお伝えしてます。
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雪組『壬生義士伝』の作品としての魅力は
『壬生義士伝』主人公・吉村貫一郎を回顧する形式
作品の主な時代背景は幕末(1853年から1869年)ながら、作品の冒頭は明治時代。
場所は鹿鳴館からはじまります。
鹿鳴館に集う人々が、この作品の主人公・吉村貫一郎と縁ある人達であったことから、吉村貫一郎の思い出を語りはじめ、いわばこのシーンの登場人物達が作品の語り部(?)、案内役のような役を担っていました。
その物語の案内役が
- 松本良順・凪七瑠海(なぎなるうみ)
- 松本登喜・千風 カレン(ちかぜかれん)
- ビショップ夫人・舞咲 りん(まいさき りん)
- 鍋島栄子・妃華 ゆきの(ひめはな ゆきの)
- 斎藤一・朝美絢(あさみじゅん)
- 池波六三郎・縣千(あがたせん)
以上の方達です。
こういう形式では軸になっている、吉村貫一郎が生きた幕末での芝居(物語)をさえぎらず邪魔せず、そしてセリフで語るべき点はしっかり語らなければいけないので、むずかしいのかなぁ・・・と思いましたが、カーテン前や銀橋でのこのメンバーの芝居は自然な流れで幕末とリンクしていました。
中でも斎藤一、池波六三郎は主軸の幕末にも登場する人物なので、時代毎の演じ分け・・・ちょっと注目です。
宝塚版『壬生義士伝』が伝えてくれた切ない時代
望海風斗さん演じる吉村貫一郎は、愛おしく思っていた、しづ(真彩希帆)を嫁に迎えるものの、武士とは名ばかりで盛岡の貧しい暮らしの中では妻子を養えず、盛岡藩を脱藩。
京へ上り、新選組に入隊します。
吉村貫一郎は剣の腕は北辰一刀流免許皆伝。
お金のために人を斬ると口にしたり、新選組内でのイザコザをもとに斎藤一をゆすったり・・・。
いや、こいつなんやねん!と突っ込みたくなる、宝塚ファンがイメージする主役が演じるような役どころではないのです。
でも、彼が「お金」ばかりを口にするのは、心底妻子を思っていることがわかると、実に切ない思いに包まれました。
日本人は「お金」を口にすることを、あまり良しと思っていないのは、おそらく現代でも幕末でも同じでしょう。
下品で卑しい。
そう思ってしまうところがあります。
しかし吉村貫一郎は「卑しい」と言われることは全く気にもとめない様子で、少しでも稼ぐこと、そのお金で妻子を楽にさせることをまず第一に考えているのです。
『壬生義士伝』が教えてくれた貧しさは・・・
吉村貫一郎が脱藩して新選組への入隊を決心したのは、妻・しづが3人目の子供を宿して口減らしのために自ら川に身を投げたことがきっかけでした。
口減らし。
言葉としては知っていますが、貧困さが拡大していると言われる現代でも「口減らし」という言葉は異次元の存在でしょう。
あっ・・・、家族が増えれば、食料を賄えないという時代があったんだ・・・。
それが伝わってくると、背筋が寒くなる思いも同時に湧いて、リアルに伝わってくると切なく悲しくもどかしくなりました。
宝塚で度々作品の題材にとりあげられている新選組。
時には沖田総司、また別の作品では土方歳三。
あらゆる人物をヒーロー化して、宝塚作品にふさわしくかっこいい人物像に描かれているものです。
・・・が、『壬生義士伝』の主人公・吉村貫一郎は、あくまで一人の人間としてリアルに描かれていました。
それでも宝塚的な要素を失わずにいるのは脚本・演出の石田昌也先生の手腕なのか、望海風斗というトップスターの人間らしさなのかはわかりません。
石田作品の中には「そのセリフをタカラジェンヌに言わせるのか?」的にあまりにもリアリティなセリフに逆に興ざめしたことが多々ありますが、この『壬生義士伝』に限ってはヒューマンドラマを感じ、リアリティなセリフも違和感を覚えることがありませんでした。
すみれ子個人としては、石田作品の中ではナンバーワンかもしれません。
↓↓2. 宝塚版『壬生義士伝』はヒューマン・ドラマ?
コメント
すみれ子さん、こんにちは。
いつも楽しく読ませていただいています。
誤変換があるようです。浅田先生と石田先生の対談。。。ですね。きっと。
壬生義士伝、気に入られたようですね。
私は、原作を読み終わったときに、難しい作品を選んだなあ。と感じました。
原作は、あれだけの長い物語として語ってはじめて納得できる感じがしたので、1時間半でどうするんだろう?と思いました。
儒教の思想とか、”義”という考え方は、現代社会の中では違和感を覚える部分もあり”家族の為に、家族を持つ人の命を奪うのか?”みたいな疑問を持ってしまうとどう感じるのかしら?と思っていました。
ですが、望海さんは本当に見事でしたね。
なんの迷いもなく、家族を守るという”義”を表現されていたので、そんな疑問すら頭をよぎることなく、ひたすら号泣しておりました。
おっしゃるように、妙なセリフもなく脚本もおおむね良かったですね。歌詞も美しくて、歌でも感動しました。
でも私は、語り部を登場させる演出が好きではありませんでした。
語り部たちの登場タイミングが悪くて、涙に打ち震えていた感情の持っていき場がなく、物語の中から現実に引き戻されて集中力がきれること2回。
どうしてくれるんだ!この気持ち!と憤慨しておりました。
まあ、どうのこうの言ってもあー楽しかった!といって帰路についたのは間違いないんですけれど。(笑)
ショーの感想を読ませていただくのも楽しみにしております。
おとぼけ男爵さん
コメントをありがとうございました。
お返事が遅くなり申し訳ありません。
実は今回の雪組公演は観劇中も、そして観劇後も「かんがえさせられる物」が多すぎて、書いたりまとめたりすることができないでいました。
とにかく記録していたい思いもあり、書いてみましたが、思いが文章にはなりません(涙)。
「義」って文字で書くと「ふーん・・・」って感じです。
でも原作はもちろんでしょうが(読んでいませんが)、望海風斗さんが表現した『壬生義士伝』の世界は、日本人の持つ忘れ去ってしまった精神を考えたり、いろいろ・・・。
単純に悲しいとかそういう感情の問題としてだけでなく、考えこんでしまって(苦笑)。
でも観劇された方、お一人お一人の心の奥に「何か」を残してくれる作品であったことは間違いありません。
ショーはそんな思いを吹き飛ばしてくれるような、かっこいい雪組、歌えるコンビの心があらわれるような歌声を楽しめる作品でしたね。
お芝居とショーの2本立て、宝塚ならではの世界だからそれでも救われるます。
また、ゆっくりとショーも思い出してみますね。