上田久美子・宝塚演出家の講演感想、年歴、経歴も探る!天才と呼ばれる所以を見た!

宝塚コラム

上田久美子講演会タイトル『パンとサーカスの危ない時代に』の意味

ここでようやく今回の講演会の議題へ。

まずは、ちょっとびっくりするようなタイトルの説明から。

ノル香も100%正しく正解を認識したわけではないと思うのですが…

 

と言いますのも、さすが「天才」上田久美子先生、講演の内容がもうハイレベルすぎて…

ウエクミ先生はいかにも頭のいい人の話し方で、「えーっと」とか「○○というか…」「そうですね~…」とか、無駄や遊びがまっっったくないので(;^ω^)

ウエクミ先生のスピードに振り落とされないようについていくのが精いっぱい、いや、ついていけてたのだろうか…

あの会場にいた人のどれだけがウエクミ先生のお話を100%呑み込めたのか…いささか謎です(*_*;

 

受付の際に配られたレジュメも、レジュメと言ってしまうのは違うようなレベルの大作で…

A4用紙いっぱいに文字がプリントされたものが全25ページもある、もはや「論文」。

 

 

開始30分前にこれを配られても30分でなど読めるはずがない!

そんなことはウエクミ先生もきっとご承知だったと思いますので、たぶん今日のお話を誤解なくしっかり理解してほしいという想いから、講演内容をわざわざ記録にしてくれたのではないかな、と思います。

その辺にも「主張を正しく理解してほしい!」という演出家っぽいこだわりが感じられますね。

 

では、自信のなさからちょっと言い訳が長くなりましたが(-_-)『パンとサーカス』という言葉の意味。

こちらは古代ローマ時代の詩人・ユウェナリスの言葉。

当時の悪政を揶揄した言葉だそうです。

悪政から市民の注意をそらすために、権力者は無償でパンとサーカス(見世物)を与えている、と。

現代の演劇(見世物)はこのような、人々を危機から目を逸らさせるためのものになっていないか?!という天才らしい比喩でした。

 

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上田久美子先生の講演内容の概要

上田久美子先生は全体を3つの章に分けて解説してくれていました。

表紙はこちら。

 

 

3章を順序良く、というよりは、実際は割と飛び飛びだった感じですね。

 

上田久美子先生講演会概要 序章『ゆでガエル』

まず、序章でいきなり掴まれる「ゆでガエル」という表題。

これは、ウエクミ先生の造語ではなく、「ゆでガエル理論」というのが世間にあるそうで。

「カエルはいきなり熱湯に落とされたら『グエエエ!』と暴れるが、水に入れてゆっくり火にかけていくと、熱くなってきていることに気づかずにそのまま死んでしまう」

というもの。

つまり、ゆっくり進行する危機や周囲の変化に気づけず、そのまま取り返しのつかない事態になってしまう状況のことを指します。

 

ウエクミ先生の問題提起は、「皆さん、ゆでガエルになっていませんか?!」という意味でした。

 

上田久美子先生講演会概要 第一部 ピュアエリアの成立と「悪」の行方

まず、またしても「?」な単語が出た『ピュアエリア』の説明から。

これはウエクミ先生に限らず多くの有識者が提唱している危険ですが、現代は「無菌状態」にあるため、菌への耐性が非常に低くなっている、という意味の「無菌エリア」だと思います。

 

煙草の煙、嫌だよね、遠ざけましょう。

子供が嫌がること、可哀想だよね、やめましょう。

喧嘩、嫌だよね、避けましょう。

パワハラ?セクハラ?気分悪いよね、根絶させましょう。

 

こうして人間が不快と思うことをどんどん遠ざけ、できるだけストレスのかからない環境を作ろうとする行為が、非常に危険なのではないかということですね。

なんの苦労もなかった人が大人になって初めて困難にぶつかったとき、耐性や経験がないので対応できずに腐ってしまう、という状況を指しているのでしょうか。

 

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そして同時に、人間にとって生きる上で「悪」はどうしても必要な存在であるため、いくら無菌状態にしたところでどうせまた新たな「悪」を作り出す。

そうして無理やり作り出された「悪」はどこかいびつ。

例えば、体罰を厳しく取り締まったら今度は言葉の暴力が始まる。

例えば、店の店主に直接「この対応はなんなんだ!」と怒鳴るのをやめたら、店のクチコミサイトに匿名で「この店は最低」と書き込む。

例えば、街中で「肩がぶつかった!」と胸ぐらを掴むのをやめた大衆はSNSで芸能人を監視して小さなことで「不謹慎だ!」と総叩きにする。

 

昭和までには身近でよく見かけたガキ大将、雷親父、暴力教師などから理不尽な目に遭い、社会はストレスに溢れていて、人は今よりもっと激しい怒りや悲しみに左右されていた。

でも、その大きな理不尽があったからこそ、時にふれる人の優しさが身に染みるわけだし、その経験を糧に素晴らしい表現者が誕生したりした。

 

その、「大きな悪があるからこその、大きな善の存在」という重要性を上田久美子先生は主張していたのだと思います。

「善と悪は相対している」と何度もおっしゃっていました。

悪があるから善がある、善があるから悪がある、ということですね。

 

上田久美子先生講演会概要 第二部 物語のアトラクション化と、これからの物語

近年のヒットエンタメとして、『LA・LA・LAND』や『君の名は』『シン・ゴジラ』などを挙げていた上田久美子先生。

それらのエンタメに共通していることは、「アトラクションのようだ」と。

乗っている最中は刺激的で快楽的だけど、乗り終えて余韻に浸るというものではない。

適度な強さと感覚でこちらのアドレナリンを刺激してくるけど、観終わった後になにか思想が変わったとかしばらく考え込んでしまうとか、そういう「文学性がない」。

 

なぜそうなってしまったのかというと、背景には第一部で説明した「苦痛の排除」があるのでは?と。

たとえそれが物語の中の出来事だとしても、登場人物の苦しみを追体験することすらしんどくなっている観客。

そんなに過酷でもない障害をスッと乗り越えるという出来事が断続的にゆるく続くくらいのストーリーで構成されているため、余韻が残るほどのテーマがない。

 

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では、今後、ウエクミ先生が望む「物語の正しいあり方」がこれから実現できた場合、どのような「いいこと」を提供していかれるのだろうか。

ウエクミ先生が考える物語の役割には、以下の3つがあると考える。

  1. 共感の拡張
  2. 痛みの肯定
  3. 悪の可視化

「1.共感の拡張」とは、自分と同じような年齢、同じ性別、同じ時代、同じ家庭環境、同じ境遇など、狭い範囲での「共感対象」ではなく、自分と共通点のまったくない主人公にも共感できるまでに「わかるわかる!」という感情を広げていくことができる、ということ。

たとえば、宝塚で言えば、先日再演された『凱旋門』。

主人公は男だし、ヒロインは女だけどバーの歌手だし恋愛依存だし、そもそもナチス時代だしパリだし、正直言って観客との共通点などほとんどありません。

でもなぜか「そういう気持ち、あるよね~」「ダメだと分かっていてもやめられないのが人間だよね~」というような共感を呼ぶことができます。

 

これを現代の若者が観ると、

「なんで死ぬってわかってるのに亡命しないの?」

「なんで危険があるのにあの主人公に固執してあそこまで依存するの?」

といったように、「…はて?」という反応になってしまうことが多いそうな。

花組が博多座で公演した「あかねさす紫の花」も、2人の男性から愛されて苦しむ女性の物語。

これを若者が見ると「結局どっちのことが好きだったの?はて?」なんていう感想が出てきてしまうとか。

「どっちが好きとかじゃなくて、どっちも魅力的でどうにもならない!」みたいな苦しい気持ち、今の若い子には分からないのかなあ?とおっしゃってました。

 

この状態をウエクミ先生は非常に危険であると感じているということ、でしょうか。

 

「2.痛みの肯定」は、善と悪は相対的に存在しているため、人間の人生から追い出すことはできないし、痛みを知らないということは「無菌状態」であるため、少しの雑菌の侵入によって取り返しのつかないことにも。

「生きているとこんなに痛いことがあるんだよ」「それを受け止めることが人間にとってとても大事なことなんだよ」という、メッセージ。

 

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「3.悪の可視化」は、誰の中にも「悪」の部分はあるし、もちろん自分の中にも存在するもの。それを物語の中に見出してたまに自分の中に巣食っている悪を可視化して「わかるなあ、そういう衝動ってあるよね」と客観視することによって人間は適度なバランスを保っていられる、というわけです。

 

↓↓3.ウエクミ先生とノル香の考えの違い

コメント

  1. おさひろ より:

    ノル香様
    こんにちは。
    ウエクミ講演会、凄く興味あったので、レポ嬉しいです。
    出来ればレジュメ、出版して欲しいほど。
    女帝3名の作品、好きです。
    ウエクミ先生の作品は、終わってからずーーんと心に残りますよね。
    ララランド見ましたけど、ウエクミ先生と同じように感じました。内容があまり残らない。
    だったら、もっとミュージカル的で良かったのに、と。
    茜さすのくだりも興味深いです。
    でも、そういう感情って、ある程度年齢を重ねないと分からないのかもなぁって思いました。
    宝塚って不倫ドロドロ、特に柴田先生作品多いですが、根底はどちらも魅力的で選べない、なんでしょうし、世間でも、女優の方や元オリンピック選手の方など騒がせてますが、その気持ち、分からないでもない。
    若い時は猪突猛進みたいなことありますし、まぁそれが若さでもある。

    そして、ノーマークだった星組公演、断然楽しみになってきました。
    ありがとうございました。

    追伸 バウでのステッカー大切な思い出です

    • すみれ子 より:

      おさひろさん

      ご訪問とコメントをありがとうございます。
      管理人のすみれ子です。

      本当に上田久美子先生の作品は、小説のように心の中にしっとりとした余韻を残し、
      味わい深いモノがありますね。
      作・演出家としてデビューされて以来、宝塚での上演作はすべて観劇しますが、その秀逸さには
      毎作品驚かされるばかります。

      確かに数々の名作を書かれた柴田侑宏先生の作品。作品としての奥行きのある作品と深さは、
      素晴らしいと思います。・・・が、おさひろさんがおっしゃるように「不倫」が描かれているのは
      私自身「うーーーん・・・・」と思ったりも(苦笑)。

      恋愛や結婚は時代と共に変化しているので、時代背景を考えれば、そういう形態にとらわれない時代
      を描かれているからなのだろう、と思っています。

      なにはともあれ、宝塚の作・演出家といえば、ほんの20年くらい前(でしょうか?)まで男性陣が
      しめていたのですから、上田先生、小柳先生といった女性がどんな活躍をしてくださるのか非常に
      興味深いところですね。

    • 路線 ノル香 より:

      @おさひろ様

      コメントありがとうございます!
      普通の公演と違ってこのような講演会はなかなかレポを書いている人が少ないですよね~。
      楽しんでいただけて良かったです!

      ウエクミ先生は一貫して「もっと自由な表現を!」と訴えていたようですので、演出家としてやはり窮屈さを感じているようでした。
      でも、そんな制約の中でこそ光る先生のようにも思えましたし、そんな反骨精神があったからこそあの講演会の内容になり、あのレジュメになったわけですもんね。
      悪いものになぜか惹かれてしまう、いけないとわかっているのにそちらに向かってしまう人間臭さをスミレコード内でこれからも絶妙に表現し続けてほしいです。

      そして観たあとに、「不倫はいかん!二股もいかん!……でも気持ちはわかる(-_-)」という激しい葛藤を残す作品作り、期待したいですね。

  2. なる より:

    路線 ノル香様

    初めまして、いきなりのコメント失礼いたします。

    このレポを読んで、本当に行きたかったと心底思っています(。-_-。)

    突然なのですが今、大学の卒業論文で宝塚歌劇団のことについて書いています。

    その中で上田久美子先生のことも書きたいのですが、どうしてもそのレジュメが読みたいのです。

    もし路線様がよろしければ下記に書いてあるメールアドレスにメールを送ってきてくださいませんでしょうか?
    そのままくれ、原本をよこせというのではないことではありません。

    いきなりで失礼なのは重々存じておりますが、ご協力くださると本当に嬉しいです。

    失礼いたします。

    • すみれ子 より:

      なるさん

      ご訪問とコメントをありがとうございます。
      管理人のすみれ子です。

      卒論のテーマに「宝塚」とおっしゃるファンがいること、オールドな一人の宝塚ファンとして嬉しく
      思っています。

      また改めて路線ノル香から連絡があると思いますので、今しばらくお待ちくださいね。

      女性の演出家も何人か誕生した宝塚ですが、「女性」とかそういうくくりではなく、一人の演出家と
      して、もう上田久美子先生の世界観はファンを魅了する要素がいっぱい。

      じっくりと研究してくださいね。(←一応エールのつもり ^^)

      研究を離れた視点でも、またお立ちよりいただければ幸いです。

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